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一期一会の本当の意味
https://note.com/ageratum_kobe/n/n84da755148c9
私たちが使う一期一会は「一生のうちに二度とない出会い」
辞書で引いてみたらこはのように載っていました。
その日に出会った人とは、今後もう二度と会えないかもしれないので、その人との時間を大切にしましょう。
こんな感じで多くの人が解釈していると思います。
たまたま気になったので本当の意味を深掘りしてみました。
そしたら少し意味が異なっていたので、僕自身が思うことを書きます。
今回はとても長くなります。
「一期一会」という言葉を広めたのは江戸幕府の大老、井伊直弼(1815-1860)です。
あまり知られていないかもしれませんが、直弼公は茶の湯の源流を正しながら、近代的精神性を重視した、茶の湯の先駆者であり、茶人としても有名な人なんです。
本当の意味を知る為に、
『茶湯一会集』を読んでみました。
『茶湯一会集』は直弼公が著した茶書で、
茶事についての心構え、準備など全てのプロセスを具体的に述べたものですが、亭主の心得だけではなく、亭主・客人の双方の心の持ち様が表されていることが、最大の特徴です。
『茶湯一会集』現代語訳・解説集を読んでみました。茶道に関する記述を読むと、政治におけるあり様とはまた別の人間像が見えて面白かったです。
一期一会の心は、茶道の開祖・千利休の教えといわれてます。
千利休自身はこの言葉を残していませんが、
千利休の弟子の一人である山上宗二が記した『山上宗二記』の「茶湯者覚悟十体」の中で、
「道具開き、亦は口切は云ふに及ばず、常の茶湯なりとも、露地へ入るより出づるまで、一期に一度の会のやうに、亭主を敬ひ畏るべし。」
道具開き(保有する茶道具を出して点検・披露する事)、または口切(立冬の頃に、茶壺の封を切って新茶を供する事)はもちろんのこと、平生の茶湯の折でも露地を入ってから出るまでは、一生に一度の巡り会いのように、亭主を敬ってもてなしを受けるように。
いつもの茶会であっても、臨む際は一期に一度のものと心得て誠意を尽くせよ。
という文章があります。
そして、この言葉を広めたのが、直弼公です。
『茶湯一会集』の中に、
抑(そもそも)、
茶湯の交会は一期一会といいて、
たとえば幾度同じ主客交会するとも、
今日の会に再びかえらざる事を思えば、
実に我一生一度の会なり。
さるにより、主人は万事に心を配り、
いささかも麤末(そまつ、大事なものを粗く扱うこと)なきよう深切実意(真心をつくすこと)を尽くし、
客も此の会に又逢いがたき事を弁え(わきまえ)、
亭主の趣味何一つもおろそかならぬを感心し、実意(真心)を以て交わるべきなり。
是れを一期一会という。
必々(かならずかならず)主客とも等閑(なおざり、いい加減なこと)には一服を催すまじき事、すなわち一会集の極意なり。
茶会に臨む際には、たとえ同じ人と何度も茶会で同席する機会があっても、今、この時の茶会は一生にその日ただ一度のこと。二度と同じ時に戻ることはできない。だから亭主はすべての事に心を配り、客は主人のもてなしを真心いっぱいで受け取るように尽くして臨むことが極意と述べてます。
「一期一会」は、茶道の心得を表した言葉となっており、お茶会に臨む際には、今後、お茶会を開く機会があったとしても、全く同じものを繰り返すことはできないので、常に人生で一度きりと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くしましょうという事。
自分の欲や等閑な心を排して、こころをひとつに纏めて瞬間瞬間を一生懸命過ごす生き方だと思います。
一期一会、さらに深掘り
「一期一会」
仏教の無常観にとても近い言葉だと思います。
無常観とは、
「無常」の「常」とは、「常にそのまま」ということで、それに「無」がつきますと、「常にそのままで無い」ということなので「変化する」ということです。
何が変化するかといいますと、「すべてのものが」です。
私たちのこの体も変化します。
刻一刻年を取り、やがては死ぬ。
このように観ずることが無常観です。
「諸行無常」の言葉で始まる『平家物語』も無常観の影響を受けたんではないでしょうか。
「一期一会」に戻ります。
「一期」はもともと仏教の言葉で「一生」という意味。
「一会」は一回しかない出会いという意味。
なので、「一生に二度とはない出会い」という意味になり、そこから転じて「出会いを大切にしなさい」という教訓じみた意味を含むようになったと思います。
「一度の茶会も二度とないのだからお客も、もてなす側もそれを心得て大切にしなさい」という意味で現代風に変わっていったのだと考えられます。
仏教の無常観に通ずるものがあると思います。
例えば、私たちの前にある物質は何も変わらないように見えても原子レベルでは徐々に変化しています。
そして、私たちの心も変わり通しで様々なことが浮かんでは消えを繰り返しています。すべてのものは無常なんだと思います。
私たちは常がなく、続かない存在で1秒と同じ状態にはとどまってはいられない。
そして悲しいけれど最後には死を迎える存在。
だからこそ出会ったことは貴重であり、こうして会えている一瞬一瞬はとても大切な瞬間なのだよと教えてくれているのが「一期一会」に込められた本当の意味なのではないでしょうか。
最後に
今回は「一期一会」の本当の意味を約1ヶ月間考えてみました。
当たり前のように会っている友人や家族ですが、その一瞬一瞬は二度と訪れることのない。
ましてや、私たちはいつかは必ず終わりを迎える存在です。
その有限性があるからこそ、かけがえのない出会いを喜ばないといけないのだと思います。
無常とか言って嫌だなぁ…と思う方もいるかもしれません。
「無常を見つめることこそが、本当の幸福になる第一歩」
なのかなぁ…と思ったりします。
そんな中に壊れない幸せがあると思います。
1人のお客様に対して100回接すると100通りの接客が出来る。
この事が「一期一会」の本当の意味ではないかと思います。
このような思いを持って仕事をしていくと何か新しいものが得られるかもしれません。
今回は長過ぎるし難しい話を最後まで読んでいただきありがとうございます。
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