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カットが上手な人
https://note.com/ageratum_kobe/n/n20657dfa4020
あくまでも個人的な感想です。
1+1=2 のようなルールがあります。
カットにも理論がもちろんあります。
どんなお仕事でもこういうルールがあると思います。
カットに関しては理論が8割 センスは2割だと思っています。
(「センス」は「ものごとの感じや風合いなどを繊細に捉える心の働き」という意味です。)
よくセンスでカットしていると思われがちですが、それは違います。
例えば素人にハサミを持たせ、1+1=2みたいに公式通りさえすれば、
カットは出来るのです。不思議なことにそれなりに形になってしまうのです。
理容に関しては刈り上げが基本技術になります。
美容ではワンレングス、ボブなどが基本技術です。
もしもセンスでカットしていると、毎回同じものが作れると思いますか?
感覚だけで切っていると下手をすると同じものが作れません。
スタイルを作る公式があります。
基本的な公式で形を作りそこにセンスを少し加える。
センスとはこの人の顔形にはここの部分に重みを残すなど、
こうすれば見え方が変わるなど、その人に合わせるのがセンスと思っています。
グラデーションやレイヤーをどの角度、どの位置でいれるのか?
どのようにコントロールするのか?この部分にセンスが必要です。
そしてそれを実行するのにまた理論が必要です。
適当に切っているように見えて、実は頭皮からどの角度で髪を引き出すのか?
手前に引き出すのか?向こう側に引き出すのか?
角度は垂直なのか?平行なのか?
梳き方も同じように、
髪の表面に入れるのか、内側に入れるのか?
色んな技法がありますが、どの技法がいいのか?
量をたくさん減らせばいいという考えは間違っていると思います。
たくさん減らすと量は減ります、でもボリュームは減りません。
理由は梳いて隙間を作れば空気感は出ますが、
密度や規則性は失われます。
髪は長いとねてくれます、短いと弾力が出て立ちます。
だから量をたくさん減らしてもボリューム感はなくなりません。
流したいスタイルの場合、量をむやみに減らすとツヤ感が失われ、
痛んでいるように見えます。
ツヤを出したいと思っている方、日々のケアではなく、
カットが原因かもしれません。
癖毛には癖毛の理論があり、直毛には直毛の理論があります。
新規で来店されるお客様で、前回のカットで悩んでしまうことがあります。
それは、とにかく梳いて、
軽くしたいので、もっと梳いて、
理論にないような梳き方をされると、修正が出来ません。
ボリュームを抑える梳き方、ボリュームを出す梳き方。
髪質によって変わる。
理論が理解出来れば、後にある程度のセンスは身につきます。
そして、理論があるとお客様に説明も出来ます。
要は公式と公式の組み合わせでスタイルは完成するということです。
自分自身もまだまだですが、
この理論を追求し続けて行きます。
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頑張りたいけど頑張れない時
https://note.com/ageratum_kobe/n/ne85a183295d8
頭では頑張りたいのに、体や心がついてこない。こうした場面に直面したとき、あなたならどう切り抜けるでしょうか?
「頑張りたいのに、頑張れない」というのは、実は頑張りすぎた心と体がSOSサインを出していることなのです。
3つのサイン
①「頑張りすぎている」というサイン
頑張りたいのに頑張れない。
そんな状態が続くと、何だか自分が情けなく思えてきます。
それが例えば、今やらなきゃダメなのに・・という時だったりすると、余計自分が情けなくなったり、なんでこんな時にと、自分を責めたくなったりもします。
ただ、こういう状況、頑張りたいのに頑張れない状況というのは、頑張れないから起きているんじゃなくて、すでに頑張りすぎているからこそ起きている、そういうことが多いんです。
「頑張りたいのに頑張れない」というのは、つまり、「頑張りすぎている」というサインなんだと思います。
「この辺で少し休んだ方がいい」という心のサイン。
体であれば、わかりやすいかも知れません。
体の怠くなったり、痛くなったりするので、わかりやすいと思います。
でも、心の場合はそうではなくて。
心にも疲労の限界があります。
簡単に見分ける方法は「頑張りたいけど頑張れない」そう思う時です。
②「何かを変えた方がいい」というサイン
「頑張りたいけど頑張れない」のは、
何かを間違えているからかも知れない。
何を間違えているか?
例えば、頑張り方を間違えているのかも知れないし、頑張る場所を間違えているのかも知れないし、自分には合わないことを無理をして頑張ってしまっているのかも知れないし・・
何かを成し遂げないといけないなど思ってしまい、自分に多くのことを求めていたりして、それができない自分を責めたり、否定している場合があります。
そして、動けなくなってしまった、そんな自分を変えようと思ったというか、変えるしかなかないと思い詰め、悪循環に陥る。
それまでの何かを成し遂げるという人生の目標を捨て、これからは人生を楽しむことが目標になると、色々なことが不要になってきます。
例えば、人と比べることとか、人に勝つこととか、誰かに何か証明することとか・・そういうことが必要ではなくなっていった。
「頑張れない」というのは、頑張りすぎているというサインであったと同時に、このままではダメだから、生き方を変えなさいというサインかもしれません。
「頑張れない」という気持ちが自分に何か伝えようとしている。
そういうこともあります。
③「今は頑張る時じゃない」というサイン
頑張れない時は、頑張るべき時じゃないんです。
頑張りすぎて、メンタルの調子を崩してしまう人も大勢いますが、そういう人は、その状態でも頑張ろうとしたりします。
そんな時は頑張ってはいけない時なんです。
この状態ではしっかりと休んだり、ペースを落としたりすると、メンタルは比較的早く回復します。
ところが、このサインを無視して頑張り続けると、心の状態が悪化して、また悪循環に陥ります。
最初にサインが出た段階で、頑張れないとか、やる気が出ないとか、そういったサインが出た段階で休むこと、ペースを落とす、または頑張り方を工夫することがとても大事です。
頑張りたいけど頑張れない時
することは一つです。
休むこと、ペースを落とす、または好きなことをする。
とにかく無理をしない!好きなことを思いっきり楽しむ!
でないと頑張りたいけど頑張れない病にかかります。
忙しい現代人は、ついつい頑張り過ぎてしまう場面も多いでしょう。
常に自分の体と心の状態を知り、自己をねぎらい、無理しすぎない程度に生きていきたいものですね。
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一期一会の本当の意味
https://note.com/ageratum_kobe/n/n84da755148c9
私たちが使う一期一会は「一生のうちに二度とない出会い」
辞書で引いてみたらこはのように載っていました。
その日に出会った人とは、今後もう二度と会えないかもしれないので、その人との時間を大切にしましょう。
こんな感じで多くの人が解釈していると思います。
たまたま気になったので本当の意味を深掘りしてみました。
そしたら少し意味が異なっていたので、僕自身が思うことを書きます。
今回はとても長くなります。
「一期一会」という言葉を広めたのは江戸幕府の大老、井伊直弼(1815-1860)です。
あまり知られていないかもしれませんが、直弼公は茶の湯の源流を正しながら、近代的精神性を重視した、茶の湯の先駆者であり、茶人としても有名な人なんです。
本当の意味を知る為に、
『茶湯一会集』を読んでみました。
『茶湯一会集』は直弼公が著した茶書で、
茶事についての心構え、準備など全てのプロセスを具体的に述べたものですが、亭主の心得だけではなく、亭主・客人の双方の心の持ち様が表されていることが、最大の特徴です。
『茶湯一会集』現代語訳・解説集を読んでみました。茶道に関する記述を読むと、政治におけるあり様とはまた別の人間像が見えて面白かったです。
一期一会の心は、茶道の開祖・千利休の教えといわれてます。
千利休自身はこの言葉を残していませんが、
千利休の弟子の一人である山上宗二が記した『山上宗二記』の「茶湯者覚悟十体」の中で、
「道具開き、亦は口切は云ふに及ばず、常の茶湯なりとも、露地へ入るより出づるまで、一期に一度の会のやうに、亭主を敬ひ畏るべし。」
道具開き(保有する茶道具を出して点検・披露する事)、または口切(立冬の頃に、茶壺の封を切って新茶を供する事)はもちろんのこと、平生の茶湯の折でも露地を入ってから出るまでは、一生に一度の巡り会いのように、亭主を敬ってもてなしを受けるように。
いつもの茶会であっても、臨む際は一期に一度のものと心得て誠意を尽くせよ。
という文章があります。
そして、この言葉を広めたのが、直弼公です。
『茶湯一会集』の中に、
抑(そもそも)、
茶湯の交会は一期一会といいて、
たとえば幾度同じ主客交会するとも、
今日の会に再びかえらざる事を思えば、
実に我一生一度の会なり。
さるにより、主人は万事に心を配り、
いささかも麤末(そまつ、大事なものを粗く扱うこと)なきよう深切実意(真心をつくすこと)を尽くし、
客も此の会に又逢いがたき事を弁え(わきまえ)、
亭主の趣味何一つもおろそかならぬを感心し、実意(真心)を以て交わるべきなり。
是れを一期一会という。
必々(かならずかならず)主客とも等閑(なおざり、いい加減なこと)には一服を催すまじき事、すなわち一会集の極意なり。
茶会に臨む際には、たとえ同じ人と何度も茶会で同席する機会があっても、今、この時の茶会は一生にその日ただ一度のこと。二度と同じ時に戻ることはできない。だから亭主はすべての事に心を配り、客は主人のもてなしを真心いっぱいで受け取るように尽くして臨むことが極意と述べてます。
「一期一会」は、茶道の心得を表した言葉となっており、お茶会に臨む際には、今後、お茶会を開く機会があったとしても、全く同じものを繰り返すことはできないので、常に人生で一度きりと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くしましょうという事。
自分の欲や等閑な心を排して、こころをひとつに纏めて瞬間瞬間を一生懸命過ごす生き方だと思います。
一期一会、さらに深掘り
「一期一会」
仏教の無常観にとても近い言葉だと思います。
無常観とは、
「無常」の「常」とは、「常にそのまま」ということで、それに「無」がつきますと、「常にそのままで無い」ということなので「変化する」ということです。
何が変化するかといいますと、「すべてのものが」です。
私たちのこの体も変化します。
刻一刻年を取り、やがては死ぬ。
このように観ずることが無常観です。
「諸行無常」の言葉で始まる『平家物語』も無常観の影響を受けたんではないでしょうか。
「一期一会」に戻ります。
「一期」はもともと仏教の言葉で「一生」という意味。
「一会」は一回しかない出会いという意味。
なので、「一生に二度とはない出会い」という意味になり、そこから転じて「出会いを大切にしなさい」という教訓じみた意味を含むようになったと思います。
「一度の茶会も二度とないのだからお客も、もてなす側もそれを心得て大切にしなさい」という意味で現代風に変わっていったのだと考えられます。
仏教の無常観に通ずるものがあると思います。
例えば、私たちの前にある物質は何も変わらないように見えても原子レベルでは徐々に変化しています。
そして、私たちの心も変わり通しで様々なことが浮かんでは消えを繰り返しています。すべてのものは無常なんだと思います。
私たちは常がなく、続かない存在で1秒と同じ状態にはとどまってはいられない。
そして悲しいけれど最後には死を迎える存在。
だからこそ出会ったことは貴重であり、こうして会えている一瞬一瞬はとても大切な瞬間なのだよと教えてくれているのが「一期一会」に込められた本当の意味なのではないでしょうか。
最後に
今回は「一期一会」の本当の意味を約1ヶ月間考えてみました。
当たり前のように会っている友人や家族ですが、その一瞬一瞬は二度と訪れることのない。
ましてや、私たちはいつかは必ず終わりを迎える存在です。
その有限性があるからこそ、かけがえのない出会いを喜ばないといけないのだと思います。
無常とか言って嫌だなぁ…と思う方もいるかもしれません。
「無常を見つめることこそが、本当の幸福になる第一歩」
なのかなぁ…と思ったりします。
そんな中に壊れない幸せがあると思います。
1人のお客様に対して100回接すると100通りの接客が出来る。
この事が「一期一会」の本当の意味ではないかと思います。
このような思いを持って仕事をしていくと何か新しいものが得られるかもしれません。
今回は長過ぎるし難しい話を最後まで読んでいただきありがとうございます。
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技は見て盗め
https://note.com/ageratum_kobe/n/n60c81d786b9c
様々な職人の世界といえば、厳しい修行や師弟関係が思い浮かびます。
一見すると非効率に見える慣習も、その裏には技術を体得するための合理的な考え方があります。
「見て覚える(目を鍛える)」が重要なのは、言葉で教えてもらう前に自分の頭で考えるクセをつけなければならないから──。
見て盗むが重視される訳
1、将来的に独り立ちさせることを前提とした独立型
2、技術や理論を教えてみんなでより良いものを作ろうとした工場型
この2つで教育の仕方は変わります。
独立型教育の職人は、独立して自分のお店を持ったら、その時点でライバルの同業者です。
たとえ弟子や他の職人にお店の中を見せないし、技術的な相談にも答えてもらえません。
仕事情報はなるべく隠しておきたいです。
だから師匠のもとで修行しているときが、唯一見て学べる場所なんです。
昔の職人さん達はあまり教えてくれません。
近年は色々と教えてくれる所も増えてきました。
昔は、自分で見て学んで、ある日突然師匠から「これをやってみろ」と言われるんです。
そこでできないと答えたら「今まで何を見てきたんだ」と叱られる。
だから必死で師匠や先輩の仕事を横目に見ながらああやるんだ、こうやるんだと自分なりに考えて学んできました。
職人として独り立ちするには、技術力だけではなくお客さまとのコミュニケーションを円滑に進める力やコストとクオリティのバランスを管理する力も求められます。
そういった言語化して教えることが難しい部分も、修行時代なら日々の仕事の中で師匠の振る舞いを見て学ぶことができます。
独立型教育の場合は弟子が将来的に独立する前提で育てているので、技術だけでなく独立後に必要なすべての能力を師匠の背中から学ぶという意味で見て盗むが重視されているのかもしれません。
職人としての基本的な知識や技術を獲得するために、専門学校や講習会などの理論的な知識や基本技術を教わる、これは工場型教育です。
そして、お店でマニュアルや手順書など制作し、同僚としてみんなで技術を向上させていこうと協力できるのは工場型のいいところです。
せっかく先輩職人たちにいくらでも質問できる環境なのだから、若い職人たちは先輩に聞いて彼らの技術をどんどん取り入れていけばいいと思います。
しかし、職人の技術は自分の体の感覚や使い方に依るところも大きいので、言葉ですべてが説明できるものでもないんです。
同じ作業でも自分ならどうするか、自分が作業しやすい手の置き方や姿勢はどうだろうと考えて自分なりに体得していくしかない。
そのためには、師匠や先輩たちが今何をどうやっているのかに対して常にアンテナを張って、やらせてもらえるチャンスがきたときにチャレンジする時に、できるだけの自分なりの仮説が必要なんです。
そして、先輩からアドバイスをもらったらまずは一度取り入れてみたらいい。
そうやって試行錯誤することでしか、技術は身についていきません。
技術には答えがありません。
技術は自分の頭と体で学ぶものであり、言葉だけでは説明できません。自分なりの仮説を立ててチャレンジし、試行錯誤を重ねていくことが大切です。
この2つの教育方法は今の時代どちらも必要です。
「見て盗め」の本当の意味
「目で盗め」=「お前には教えない」
と思っている人が意外に多いと思います。
昔はそんな職人も沢山いたかもしれないけど、
今の時代あまりいないと思います。
「目で盗め」=「マネをしろ」
って言ってるんですよ。
真似してやってみて手直ししてもらうのが一番早いもの。
『学ぶ』の語源は『真似ぶ』(まねぶ)
何となく見るのではなく、真似ることができるくらい真剣に見ろと。
真似るためにはそれこそ穴が開くほど見る必要がある。
持久的な集中力も必要で、目的意識がないと中々続くものではないです。
でも結局これが一番近道。
ゴルフをした事ない人に、振り方を教えるのに一番の近道は「振ってみせる」
街中でとても綺麗な人やイケメンがいたら見てしまいませんか?
興味があるものは目で追うものです。
自分が上達したいと思っているならば、
上手な人がそれをやっていたら見ずにいられないし、見ていて「あっ」と思うことがあります。
何より、本人に興味がないことはどんなに、
こちらから教えても頭に入っていかないんです。
そして、質問したり真似してみたりする。
いつまでたってもカットが上手くできない人が
すぐ横で師匠、先輩がそれをやってるのに見もしないってのは結局
「上手になりたいと思ってないんじゃないの?」
って思いますよ。
求めてないものをあげることはできない
「しっかり手元を見てろよ」=
「教えてもらう準備ができてるか?」
準備ができてるなら仕事しながら解説もしてあげたいけど、興味がないヤツに教えても覚えてもらえないからバカバカしいからやめよう
ってなります。
逆に、手元を真剣に見てる人がいたら、
教えてあげたいと思うと思います。
向上心を持って自分から学びにいかないと、技術はなかなか身につかないと思います。
最後に
「目で盗め」=「お前には教えない」「教え方がわからない」
と思っている人
順序が逆だと言いたいです!
学びたいのなら一度考え直してみてください。
マニュアルや動画で教えられるようなモノは本当の職人の技ではない。
動画や文章や口頭では伝えられない「感覚的なモノ」を磨いて手にするのが本当の職人技。
身につけるにはやっぱりそれなりに時間がかかります。
諦めないでやっていけば、きっと上手くなります!
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技術が上手になる為に必要なこと②
https://note.com/ageratum_kobe/n/neec4d5b01963
上達ポイントその②
いい加減な性格はカットが上手いかも!?
例えばですが、
あなたは肖像画を描いていて、
すごく上手に描けたと思って、
満足しました。
ところが、翌日や時間をおいて見て見たら、
「あれ?何がおかしい?」
「自分って下手だったのか?」
こんな事を経験したことはないですか?
これは、描いた肖像画の細かいところを見すぎていて全体を把握できていないんです。
目は上手く描けたかも、けど左右何か違うとか。
髪や顔と体の大きさのバランスがおかしいとか。
目を描くのを何回も頑張って練習して
「上手く描けた!」
でも、次の日に愕然とする。
前回の記事
https://note.com/ageratum_kobe/n/ndeba3ab05b98
とは矛盾しているところがありますが、
理美容師にはいい加減さも必要だと思います。
いい加減ではなく良い加減がいいです。
理美容師の技術ってまじめな人(完璧主義な人)ほどカットが上手くなるのに時間がかかると思います。
カットを知らない高校生くらいの子の方が上手いこともあります。
前回の記事①で書いたこと、
近くで細部を見て、見終わったら、
次は2mぐらい離れたところから見ること。
一旦、深呼吸して、ぼんやりと見てみる。
冷静な目の状態で見て見てください。
細かいところは見なくていいので、全体を一つのバランスとしてとらえてみる。
プロとして1mmもずれないカットができる美容師は上手いですが、
1mmの誤差に気付ける理美容師はもっと上手です。
完成図を見て、違いを比べる答え合わせ。
間違いに気づかず練習しても本番で上手くいく訳がないでしょう?
正確な完成図がみえてくると、今度はそのうち手が慣れてきて、考えなくても作れるようになります。
練習のときにじっくり時間をかけて正しいものをつくる。
そして、カットした時間分、時間をかけてよく見て答え合わせをする。
できれば、次の日に先輩方に見てもらう。
中身のない回数だけ重ねた練習方法なんて無駄です。
講習やYouTubeなどカットを勉強しても、カットは結局やり方よりも見る目だと思います。
ある程度目が育ったら、
スタイルを見るだけで切り方や悪いポイントが見分けられるようになります。
そうなってくると分かった(知った)→理解に変わります。
講習行くよりも有名サロンの前で出てきたお客様のヘアスタイルを見たり、街へ出て素敵なヘアスタイル見てる方がいい勉強になると思います。
今の時代ネット上に沢山のヘアスタイルの動画など情報は沢山あります。
何度も言いますが、
目を鍛えてお店に立つこと。
そして、情報の使い方を知って戦い方を身につける。
これからの時代、
色々と学ぶ事も大切ですが、
賢くないと損をします。
僕らの仕事は練習に時間を使っています。
毎日仕事が終わってから夜遅くまで練習したりしています。
努力の数と成長は比例しないです。
是非参考にして一度やってみてください。
内容の濃い練習になると思います。
わからない事があれば、先輩方に聞いてみてください。
考えて練習していると、どこがわからないかなど具体的に自分のダメなところが見えてきます。逆にイイところも見えてきます。
まだスタイリストではない方、
頑張ってください!諦めないでください!
必ず出来るはずです!
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